加計学園疑惑をめぐる「総理のご意向」文書をリークした
文科省前事務次官・前川喜平氏の態度は立派である。
すでに退任したとはいえ、あくまでも「公」の僕(しもべ)
として行なったことだ。
安倍政権は「公僕」の意味が分かってない。
菅官房長官が「公の場」で矮小な個人攻撃をしても、己の
醜さをさらけ出すだけだ。
公務員は「公僕」でなければならない。
たとえ特区制度における、規制緩和といえども、首相の
お友達のための規制緩和ならば、不正である。
前川氏が言ったように、「公正公平」か否かが問題であって、
収賄などの違法行為があったか否かよりも先に、不文律
として「不公平」だと思わせるような行為を公務員が
行ってはならない。
会津藩の什の掟ではないが、ならぬことはならぬものです。
そして公務員が「不公平」であってはならないと直感する
国民の不文律は、実は憲法にも「公務員はすべて全体の
奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と明文化されて
いる。
こんな回りくどい言い方をするのは、最近のポストモダン
的な知識人が、森友学園や加計学園の事件を、違法行為
ではないから「しょーもない問題」と高を括るからだ。
しかし「証人喚問も受ける」と明言した前川氏の態度に
比して、政権の御用新聞と化した読売新聞の醜悪さは
目を見張る。
政権にとって都合の悪い人物のプライバシーを大新聞で
暴くというやり口を見ていると、「共謀罪」がいかに危険
かということまで思わせる。
森友学園と加計学園を見れば、安倍政権は「公」の意識が
稀薄すぎる「私利私欲」の腐敗政権だということがよく
分かる。